「普通」の人なんていない

1ヶ月の人と会話をしない期間が終わり、その反動なのか多くの人と話す機会があった。

そこで感じたことがある。

「普通」の人なんていない。

当の本人からすると退屈で「普通」の人生なのかもしれないが、それぞれに人生ドラマがあり、俺からするとどんな人の人生も興味深いものだったのだ。

逆に「普通」であることの方が稀だろう。

これは学生時代に皆勤賞を取った人の数を考えればすぐにわかる。恐らくごく少数だけが皆勤賞を取っていたはずだ。

学校に行くだけの「普通」のことでさえ困難なのだ。

そんな「普通」のことを少数の人しかできないのなら、その時点でもう「普通」ではない。

それならば、「普通」になろうとすることは間違っているんじゃないかとすら思う。

もっというと、人と違う人間になろうとすることすらも必要のないことだろう。

すでにほとんどの人が、人と違うオリジナルなのだから。

レールに乗っかろうとする必要もないし、無理に道を開拓する必要もない。

気づいたら勝手に道ができているような気がする。

 

自分と他人を比較するなんて時間の無駄。

人を僻んでバカにすることで優越感に浸るのなんてもっと時間の無駄。

人は人、自分は自分。

自分の信じた道が自分にとっての正解なのかもしれない。

適当でいいや。

谷川俊太郎の詩にもあるように「なんでもおまんこ」なんだね。